2020.07.05 Sun

6月は仕事が忙しく、中旬まで自分で仕事量をコントロールできないくらいだった。毎日17時ぐらいになると疲弊した感じがして、文章が思い浮かばなくなる。水木あたりはすでにヘトヘトの気分で、仕事を終えても映画も見れず、アコーディオンも弾く気力にならない。金曜日は「やっと終わる!」という感覚だけでやり切る。法人営業だから土日に突然連絡が来ることはないが、仕事している部屋で過ごしているので休日というより、長い休憩の延長線上な気がして仕方がない。あんまり良くない心の状態だな、と思う。悪い夢を見る回数が増えてきた。ここ数年、夢を見る(というか覚えている)ことはなかったのだけど、この半年ぐらいは結構な頻度で見るようになった。元々見る頻度は高い方で、一度の睡眠で3、4種類の夢を見て、それがつながっていたりつながっていなかったりして、目が覚めると疲れている。平日の疲労も肉体的な疲労ではなく精神的な疲労なのが気になる。ストレスに気付かない割に、耐性は低いから。

何もやる気がない状態だったので、その中でも楽しいことをやろうと Switch を再開した。2019年9月に出た『ゼルダの伝説 夢をみる島』を小学生ぶりにプレイした。当時、めちゃくちゃやり込んだ記憶が蘇る。攻略方法を見るために私はインターネットへダイヤルアップ接続したので、ある意味私のインターネット参画へのきっかけになったゲームだ(ちなみに『夢をみる島』の4コマ漫画も買い、それはオタク参画へのきっかけになったので、やはり全てのきっかけになったとも言える)。ストーリーや謎ときの方法もざっくりと覚えているくらいだ。そのくせ、ソフトは同級生に借りていたのだが・・・。ストーリーが進んでいくにつれて自分が島の存在を消してしまう闖入者だと気付き、主人公としてもプレイヤー(私)としても非常にメランコリックな気分になる。それでも進めなければならないという使命感の中次へ次へ動いていくので、なんだか非常に主体的なゲームだなと思った。アイテムが増えるにつれて行動範囲が広がりストーリー自体は進んでいくのだが、やらされている感じがせず、だからこそ物語を進めることに対して強い感情を覚えてしまうのかもしれない、とかなりメタフィクションの世界に入り込んでしまった。Switch になったことによりアイテムの登録数が増えてプレイ当初は混乱したが(何を押したらどのアイテムが起動すのか、すぐに記憶できなかった)、世間が『どうぶつの森』で無人島ライフを楽しんでいる頃、私は久しぶりのコホリント島で草刈りと穴掘りに励んでいる。

とは言っても、まだクリアはしていない。ラストバトルまで行ったところで、『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド RETRO』を購入してしまったからだ。ゲームを終わらせたくないという思いの逃避先が別のゲームタイトル購入となって思う壺かもなと感じながら。こっちは自分でソフトを持っていたがクリアする前にソフト自体が壊れて、セーブできなくなってしまった。それから配合システムが苦手でモンスターの強化ができず、ほしふりの大会は疎か、中編以降の扉にあるボス戦を切り抜けられなかった。難しかった記憶があるが、今は何も気にせずとにかく配合→レベル上げを繰り返していたら数日でほしふりの大会まできてしまった。あんなに苦労していたのに!やり込んだ記憶はないもののキャラクターやアイテムに馴染みがあるのは、公式ガイドブックを持っていたからだ。鳥山明によるディティールを感じられるイラストは、ゲーム以上に楽しんだかもしれない。そんなことを思い出しながらプレイをしていたら6月が過ぎた。