私の第一次孔明ブームは、まさに日本が作った軍師孔明のキャラクターだった。しかも創作に創作が幾重にも重なった結果の『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』における孔明だった。『ジャイアントロボ』という作品は横山光輝が描いた複数の漫画のキャラクターを採用しており、例えば孔明と『水滸伝』のキャラクターが会話するといった豪華過ぎる仕上がりになっている。白羽扇を手にしているものの何故かクリーム色のスーツという謎の出立ち。いや、孔明がどの時代設定においても謎の出立ちであることは事実かもしれないが。特に私はBF団であれば孔明と樊瑞(『水滸伝』のキャラクター)が好きで、特に十傑集裁判の場面は何度も見た。作画がいい。どの台詞もいい。ただ全体の計画がわからないので中身は全くわからない。全員の声も良い。キャラクターボイスは故・中村正さんだった。『ジャイアントロボ』における孔明はサブキャラクターの立ち位置ではあるものの、ボイスの良さと「自分でも多分よくわかってないけど全てコントロールできてるフリをしてカッコいい台詞を吐く」という設定により、非常に魅力的なキャラクターになっていた。と思う。ということで、これが第一次孔明ブームということにする。
終盤では、原作と同様に幽霊である両親が消える。やっと父親と母親と和解できた時なのにと、この時点で呼吸が難しくなるほどほど哀しくなっているのに(私が)、やはり、ハリーも消えてしまう。大きく原作から変えてあるラストになることを最後の最後まで祈ったのだけどそんなことはなく……。私は原作を読んだ際に、ふたつの幽霊の話が1つになっていることが気になっていた。良い幽霊である両親と、悪霊であるケイの話は、どうも全く違うもののような感じがしていた。明確に描かれているわけではないが、しかしここでハリーの自殺の理由が孤独であるということだと考えると、アダムを媒体に両親とハリーの幽霊たちが物語に含まれていることに納得がいく。部屋に来た時にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのThe Power of Loveの歌詞のようなことを言うハリーは、世代は違えども、アダムと共鳴する孤独を持っている。
あとは『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を観た。アレクサンダー・ペインの良作といった落ち着いたトーンの作品だけど、2023年に作るべき内容なのかなと疑問に思った。1970年代が舞台で、映画の作り自体も70年代のフィルムの質感で、ロングショットやカット編集も音楽の使い方も、ノスタルジックな感じ。かといってアメリカン・ニューシネマ時代のギラギラした感じはなく、叩きつけるような意思もなく、何故ならそこには政治的なメッセージは薄いからで、かなりあっさりした『さらば冬のかもめ』のような出来になっていた。物語は『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』とほとんど一緒の流れではないだろうか。メンター側がホラ吹きで見せかけだけは良い退役軍人ではなく、歴史教師の違いはあるものの。アメリカン・ニューシネマっぽいような、90年代人情アメリカ映画っぽいような(30年前に作られていたら絶対にハナム先生の役はロビン・ウィリアムズだったろう)、とつい他の映画を並べて感想を言ってしまうくらい、ちょっと印象が弱い作品だった。あとほとんど70年代サウンドだったのにボストンの街を彷徨うシークエンスにクルアンビンが流れたりと、なんとなくバランスが整ってない(A Calf Born in Winter、好きな曲だけど)。というか1970年が舞台の物語を求めるなら、1970年の映画を見るんだよな。どうしても2023年に1970年代の映画を作った理由を欲しがる私にとっては、物足りない作品だった。いい話ではあるし、同じ物語でも時代を超えて何度も語り続ける意味はもちろんあるとは思っているのだが…。
まあそんな感じで気分は落ちているが、ちょうど『ユニコーンオーバーロード』をプレイし始めているのでちょうどいいタイミングではある。Twitter経由でフォロワーさんに『十三機兵防衛圏』を教えてもらい、好みのストーリーとキャラクター、ミニエピソードでとてもエンジョイし、バトルパートもかなり良くて今もたまにプレイしている(比治山の「人生ってのはままならんな」という台詞を聞きたいだけでもある)。またアトラス x ヴァニラウェアでのゲームが出ると聞いてすごく楽しみだった。今回は戦略ゲームということで、いつも物理タイプでパーティーを編成して、レベルばっかり上げて一方的に殴りに行くバトルしかしないタイプなので、なんというか、とても難しいと感じている。難易度はとりあえずNORMALにしていて、もうすでにプレイ時間20時間近く経っているが、正直ゲームシステムもキャラクター同士の相性もまだ理解していない。王国復興に向けて地道に頑張ろうと思います。
と、すぐに老後のことばかり考えてしまうが、書きたかったのはそれじゃない!どれも楽しいコンサートだった。特にQUEEN。私が聴き始めた小学生の段階ではフレディはいなくなっていて、不在が当たり前で、過去の偉大なバンドとして曲を聴いていた。特にバンドのイメージ像としてアップデートされる要素はなく、懐古や焼き直しの伝記映画の対象としてしか見ていなかったが、今回のQUEEN + ADAM LAMBERTを見て、バンドの継続性について一つの成功例を見た感じがした。「そこまでやってもらっちゃっていいんですか!?」という名曲の数々をセットリストにふんだんに詰め込み、とにかく演奏9割ぐらいの公演。生でQUEENのオリジナルメンバーであるブライアン・メイやロジャー・テイラーを見れたことは嬉しいが、一番輝いていたのも、一番印象に残ったのもアダム・ランバートという存在だった。偉大な過去のバンドQUEENの名曲をパッケージングしてアダムがフロントマンを演じる、というミュージカルパフォーマンスに近いコンサートの印象だ。メイもテイラーも、そしてランバートも、フレディの不在を埋めようとしているわけではない。QUEENの懐古性を取り外し、現代に合わせて、バンドという形のQUEENの息を吹き返させているようだった。それから何度も何度も聞いた曲ではあれど、アダム・ランバートの圧倒的なうまさでとにかく新鮮に感じる。というか、本当に、うまい。どっから声出てるの?あとすごくチャーミングな人なんだろうなと思った。老年を迎えるメイとテイラーが、青年のランバートを微笑ましくも頼りにしている感じで見ており、その姿を眺めているだけでも感動だった。誰かにとって特別なQUEENの曲を今も変わらずずっと大事にしてくれていて、それだけで嬉しい。I’m in Love with My Carをほぼ同じキーで歌えるロジャー・テイラーの秘めた歌唱力の高さには驚いたし(若い頃もフレディより高いキーを歌っていたのは知っていたが、今も全然歌えるのはすごい)、それから大画面モニターの発色の良さもすごかった。恐ろしいほど高いモニターだろうなと思う。継ぎ目がわからず、カメラワークもしっかりしているので、コンサート中なのに編集済みのライブ映像を見ている感覚になった。それからレーザーやブライアン・メイソロパートのスクリーン演出など、どれもシンプルながらもセンスが高く、もう一度見たい。絶対見たい。定期的に見たい。という気持ちになってしまった。コンサートで大泣きしたのは初めてだ。
横須賀へ行ってきた。目的は、横須賀美術館でやっている「日本の巨大ロボット群像の展示」を見るため。昨年12月に友達と観音埼灯台へ行ったときにも美術館へ寄っており、それからまだ3ヶ月、割と早い再訪である。展示ボリュームはそこまで大きくなかったと思う。『鉄人28号』の63年に作られた特撮を起点にし、それ以降に作られた商業ロボットアニメに出てきたロボットのデザインを中心に展示している。最後の展示室に、私が愛する『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』資料が何故か多く掲げられており、全部見知った設定画だし、音無し映像を見てもセリフ&BGMの脳内再生ヨユーヨユーという感じだが、でも改めて展示されていると嬉しい。最初の展示室にはもちろん同じ監督である今川泰宏氏が作った『鉄人28号 白昼の残月』のパネルも置いてあり、見方によっては日本ロボットアニメ史は今川に始まり今川で一旦区切りがついているということなのか!?とひとりで盛り上がった。勿論そうではない。途中で『機動武闘伝Gガンダム』の資料があったら確信していたかもしれないが、間にあるのは初代ガンダムシリーズやボトムズといったサンライズ作品、ダイナミックプロ作品、巨神兵…ではなくラムダ、ゴティックメード、辺り。つまり70年〜80年後半ぐらいの作品が主で、来場者の世代もそのくらいの人たちが多かった。合体シーン(トップをねらえ!、ガオガイガー、ライジンオーとか。なぜか展示作品より世代が上)を集めた切り抜き動画があったのだが、部品の結合とかパーツの変形とかではクロースアップが多くなるためかかなりフェティッシュだなと思った。突き詰めると全体像ではなく一部ばかり見てしまうのだろうか。
2024年に入って映画館で見た映画が『カラオケ行こ!』しかない。その代わりに見事に『ハズビン・ホテル』シーズン1にハマり、家で何週も見てしまった。あとはサントラをずっと聴いていて、残り10ヶ月で劇的にハマるものがあるか、『グッド・オーメンズ』のシーズン3が奇跡的にリリースされるかしない限り、もう今年のSpotifyのランキング上位は決まったも同然。同じ監督であるヴィヴィアン・メドラーノの過去作である『ヘルヴァ・ボス』ももちろん巡回し、すっかりメドラーノ劇場にどっぷりつかってしまった私は、『ハズビン』シーズン2に向けてアラスターの生前や死因、死後の活動、契約相手、不在だった7年間、欲望を考えるしかないのですよ(注:作品の舞台が地獄や天国なので、主人公チャーリーやその父親ルシファーといったネイティブ民以外のキャラは基本的に生前がある)。そんなことを考えていたらSpotifyでアラスタープレイリストを作っていた。アラスターの死亡が1933年とのことで、1933年までの流行歌を前半に置き、聴きながらアラスターっぽいじゃないかと思ったクイーンの曲を入れて、ただただ入れたかったバグルス入れて、素晴らしいファンソングInsaneの曲で生前と死後を分け、公式曲、そして再度ファンソング、〆方に迷ったので『ディア・ハンター』のテーマソングで終えた。私が好きな曲は1933年以降が多かったので入れられなくて残念(コール・ポーターの名曲をもっと入れたかったが、1934年以降が多い)。パイロット版に「いや〜腹ペコだ、ジャンバラでも食べたい人いるかい!?」という台詞があったのでルイジアナ出身かと予想していたが、案の定ニュー・オーリンズ出身とのことで、きっとジャズも聴いていただろうなあと考えたりしたもののあまりにもジャズ知識がなかったためプレイリストには含められず。1920年代のシリアルキラーを調べたり(大恐慌時代の殺人鬼なんて山ほどいそうだ)、そういえば実際にVideo Killed the Radio Starが起きたのはいつなんだろうと思ってアメリカのラジオ史のコラムを読んだり(すっごい面白かった)、いやもう映画館に行くどころか働いている暇すらない。こういう楽しみ方をしていると、自分はシッパーではないなと思う。なんだろう、ただ単にコンテクストを掘り下げるのが好きなdeep diverなのかも。