2024.05.19 Sun

ここ最近、平日夜の余裕が全くなくなっている。以前は仕事終わりに映画館に立ち寄って帰ったり飲みに行ったりしていたのだが、あまりもうそういう気持ちが起きない。家に帰っても2時間前後の映画を見る気力はないのでドラマを見ているが、その余裕もないのがここ数週間。時間というより気持ちの面で余裕がない。思わず木曜は孔明のことを考えて現実逃避をしてしまったが、とてもいっぱいいっぱいだった。帰宅してどうせ何も出来ないならと、21時に風呂に入って22時にベッドに入り、23時には寝ようとしている。休日に掃除や洗濯、会社で食べる昼ごはんの作り置き(といってもスープを大量に作って冷凍するだけ)、買い物をして、ってやっているとすぐに時間が過ぎて気が付いたら遊ばずに土日が終わっていたりもする。だから平日も遊びたいのだが、とりあえず仕事が落ち着くまで現実逃避しか出来無さそうだ。かなしい。

先日(といってもGW休み最終日)、『ユニコーンオーバーロード』のエンディングを迎えた。プレイ時間は55時間だった。楽しかったよ〜〜……。それぞれのエピローグまであって丁寧で良かったな。良いキャラクターが多過ぎてパーティ組むのが非常に悩ましく、困難だった。徐々にバトルシステムに慣れていって効率よく勝てるようになったが、最後までエルフとたちをうまく使えなかった。魔法攻撃系はどうも難しく、いつものことだけど力技で殴りに行く編成ばっかり組んでしまったわ。いやもうキャラクターがかわいいんですよね、ヴァージニアとかベレンガリアとかモニカとかメリザンドとかダイナとかリーザとかユニフィとかヒルダとか……。ということで女性キャラが非常に好みだったわけだが、ナイジェルとサナティオの中の人が『十三機兵防衛圏』での比治山と沖野コンビで、世界線は違えどもお前ら結局一緒にいるんだな……とほっこり(にんまり)した。唯一の難点は本当に魅力的なキャラクターが多く、ひとりひとりじっくり味わおうとすると無限に時間が必要になることだ。GW明けの忙しさを予感していたので、休み最終日にかなり頑張って無理にでも終わらせた判断は良かったと思う。あとは他の方のプレイ動画を見てニヤニヤします。

そういえば『SHOGUN 将軍』を見終わって、『エコー』を見始めた。『エコー』めちゃくちゃ面白い。『ホークアイ』で出た時の記憶がほぼないものの、単品でドラマシリーズとしたことは意欲的だったと思う。最初のデアデビルとのアクションシーンも良かったし、あと彼女のビジュアルも良い。スーパーパワーとかヒーローになるまでのオリジンのストーリーが余計に感じてしまうくらい、マヤ・ロペスを追いたいという気持ちになった。

ビートルズのドキュメンタリー映画である『Let It Be』とクイーンのライブ映画である『QUEEN ROCK MONTREAL』も見れたのでDisney+は一旦お休みして、ネトフリで見たかったものを見よう。

2024.05.16 Thu

来た……!第三次孔明ブームが来た……!

中国の友人に言わせれば「日本人は三国志が好きすぎる」なのだが本当にそれはそう。中でもやはり諸葛亮孔明のポピュラーなことよ。色んなところに色んな軍師が出てきて、最近だと渋谷で踊っていたりもするじゃないか。チキチキバンバン。

私の第一次孔明ブームは、まさに日本が作った軍師孔明のキャラクターだった。しかも創作に創作が幾重にも重なった結果の『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』における孔明だった。『ジャイアントロボ』という作品は横山光輝が描いた複数の漫画のキャラクターを採用しており、例えば孔明と『水滸伝』のキャラクターが会話するといった豪華過ぎる仕上がりになっている。白羽扇を手にしているものの何故かクリーム色のスーツという謎の出立ち。いや、孔明がどの時代設定においても謎の出立ちであることは事実かもしれないが。特に私はBF団であれば孔明と樊瑞(『水滸伝』のキャラクター)が好きで、特に十傑集裁判の場面は何度も見た。作画がいい。どの台詞もいい。ただ全体の計画がわからないので中身は全くわからない。全員の声も良い。キャラクターボイスは故・中村正さんだった。『ジャイアントロボ』における孔明はサブキャラクターの立ち位置ではあるものの、ボイスの良さと「自分でも多分よくわかってないけど全てコントロールできてるフリをしてカッコいい台詞を吐く」という設定により、非常に魅力的なキャラクターになっていた。と思う。ということで、これが第一次孔明ブームということにする。

そしてハマれば本人についても知りたくなるというのがオタクの性というもの。しかし何故か私がそこで手に取ったのは、『ジャイアントロボ』の元ネタとなった『水滸伝』(『ジャイアントロボ』の多くのキャラクターが『水滸伝』から採用されている)、『赤影』(マスク・ザ・レッドの元ネタ)、『闇の土鬼』(直系の怒鬼の元ネタ)、そして何故か当時(1960年代)人気漫画家によって書かれた忍者モノオムニバスである『忍法十番勝負』や『時の行者』などの横山光輝先生作品で、『三国志』に辿り着く前に止めてしまった。『忍法十番勝負』とか神保町の古書店で買ったんだけど、あの熱はなんだったんだろう。

結局BF団オリジナルの孔明には辿り着けなかったものの、別の孔明にはたどり着いた。まず実家にあった陳舜臣氏の『諸葛孔明』を手に取った。が、これはクリーム色スーツの軍師・孔明とファンタジーである『水滸伝』ぐらいしか知らなかった自分には難しく、上巻で投げ出してしまった。そしてその後に先日鬼籍に入った酒見賢一氏の『泣き虫諸葛孔明』と出会った。その前ぐらいから『陋巷に在り』、『後宮小説』、『墨攻』、『ピュタゴラスの旅』を読んでいたので辿り着くのは時間の問題だったと思う。酒見氏の本を読んでいた時はちょうどバセドウ治療中でさらに鬱状態で誰にも会いたくなく、2週に一回血液検査のために街へ出た際にブックオフに寄っては買い集める、という時期だったので、彼の本でかなり救われた気持ちがあった。そんな状態で読んだ『泣き虫弱虫諸葛孔明』はとにかく楽しかった。第参部の単行本が出たタイミングで病気は寛解となり、大学へ再度進学する時期になったから手に取らず、そして忘れていた。そんなわけで第二次孔明ブームはある意味で酒見ブームでもある。

そして今感じている第三次孔明ブーム。「そういえば『泣き虫弱虫諸葛孔明』ってどうなったっけ?」と昨年11月にあった酒見氏の訃報を見て、悲しくなったと同時に思い出した。あんなに楽しんだのに忘れていてなんて酷過ぎるが、調べてみると2020年に完結しているというではないか!全く気付かなかった。正月で帰省した際に、自分の部屋の本棚にある酒見作品を持ち帰って、また第一部から読み直していた。今ちょうど第五部が始まったところにいる。第四部は涙なしでは読めなかった。私はメソメソ涙を流す程度だったが、この本の中の孔明は目からビームを出すレベルで涙していたので、笑いながら泣いた。このシリーズはタイトルの通り孔明がメインで進む三国志だ。正史である『三國志』と脚色が多くなされた『三国志演義』を下地にしつつ、酒見氏のツッコミやふざけた描写(途中で「残酷な天使のテーゼ」を丸々引用した台詞を言ったりもする。孔明が。人は愛を紡ぎながら歴史を作るのです……)(劉備はろくでもない人たらしだし、張飛と関羽と趙雲はキラーマシンだし、そして中心となる孔明はただの変人である)が多く入り面白おかしく描き直しつつ、過去の歴史を書くことに対する鋭いメタ的な視点もあり、かなり刺激的な三国志の本だと思う。そして今最終巻ということで、めちゃくちゃ寂しい。寂しすぎて終わらせたくなくて、間にパトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』を今更読んだり、読み終わったらまた第一部に戻ってやろうか、とさえ考えている。酒見氏が描く三国志キャラクターがあまりにも魅力的すぎて、本が与えてくれる空間から出たくない、そんな気持ちになっている。まあ、舞台となっている三国時代にはいたくないけれど……。

でも読み終わらないわけにはいかない。酒見氏の描く五丈原の戦い、そして孔明の最期を見届けなければ。でも見届けた後私はどうしたらいいんだろうか。今からこんなに寂しいのに、読み終わったらもっと寂しくなるんじゃないか。

あった!横山光輝『三国志』だ!!DMMに電子版ある!!!一気に全巻購入!!!!締めて2万6千円也!!!!!電子書籍って買ったわりに数年読まずに放置するということによくなるのだけど、まあいいや。この流れで陳舜臣のも読もう。でも孔明が好きというよりも、ただ単に酒見賢一の本が好きなだけな気もしてきた。なんだかまとまりのない記事になってきて終わるところが見えなくなってきたぞ、どうしよう。こういうふうに自分の好きなものを書くことは、現実逃避と同じなのだ。仕事で大変なことが立て続けに何件か起きて気が滅入っている。早く寝て、早く起きて、運動する癖をつけたかったのだけど平日はそんな余裕がない。通勤時の読書だけが支えのようなものだ。そして今もやっぱり、酒見氏に支えられているのだった。ありがとう、軍師。

2024.05.12 Sun 異人たち(アンドリュー・ヘイ、2023)

GWのことを色々書きたいのに、休み最終日に見た『異人たち』のことが頭から離れられず、ずっと考えている。アンドリュー・ヘイが監督し、アンドリュー・スコットとポール・メスカルが主演で山田太一原作の『異人たちとの夏』がイギリスで映画化されると聞いてからとにかく楽しみで楽しみで、それは昨年の夏頃だったと思うが、とにかく10ヶ月ぐらい思い出してはワクワクドキドキしっぱなしだった。これを機に大林宣彦監督の『異人たちとの夏』(1998年)も見てラストのヒステリー具合に大笑いしたり、これがあのアンドリュー・ヘイによって描かれるということはどうなるんだろうと色んな想像をしていた。そのくらい新作映画を楽しみに感じるのも久しぶりだ。

原作と、原作をほぼ忠実になぞった大林版では主人公の原田が中年男性で、ヒロインとして出てくるケイは年下の女性だが、ヘイ版の『異人たち』では主人公はアダムという男性、アダムの部屋へ訪れるのはハリーという若い男性になり、ゲイ中年男性の話として変わっている(ところでハリーが持ってきた日本のウイスキー、よく見えなかったけれど「和」って書いていなかった?あのボトルにラベルの色合いは全然日本のウイスキーらしくなくてちょっと笑った)。話の流れとしては原作と同じだが些細な部分が変えてあったり、その変更によって違和感と思っていたところが納得いく流れになっていたりと、翻案作品と見てもかなり良い映画だった。何より、原作がありながらも映画を見ていてアンドリュー・ヘイのパーソナルな部分しか見えなくなるところが良い。原作を忠実に再現する映像化も好きだが、作品の作られた時代や地域がかなり異なる場合はこのくらい大きく変えられたほうがわかりやすいし、翻案する意味がある、と思う。この話は、1980年代のHIV/AIDSパニックとゲイフォビアが強かった時代に幼少期を過ごしたアンドリュー・ヘイが自分に送る物語であり、そして孤独に関する物語である。ペット・ショップ・ボーイズやフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドといったアダムが小さい時に聴いてきた曲が流れ安心できる空間で、静かに孤独になっていく。

アダム(アンドリュー・スコット)はロンドンが見えるタワーマンションの高層階に暮らしている。仕事は映画の脚本家で、売れているらしいもののあまり家から出ることがない。ある晩、同じマンションに住む唯一の住人である男性ハリー(ポール・メスカル)が部屋に来て一緒に飲もうと言うが、断りを入れるアダム。ふと訪れた生家で12歳の頃に死別した両親に再会したことにより楽しい気持ちになったのか、アダムはマンションのエレベーターでハリーと再会した際、部屋に招き入れる。ハリーと関係を進めていくアダムは、死んだはずの両親(ジェイミー・ベルとクレア・フォイ)とも新しい関係を築き始める。生家へ足繁く通い、話せなかったことを母親、父親と話し、失われた幼少期を取り戻すための時間を増やすのだった。

ハリーがアダムのセクシャリティを確認する場面で、「クィアだよね?」というセリフが出てくる。ハリーはアダムより一回り以上若い世代で、彼にとって「ゲイ」は古い言葉だと言う。一方アダムの母親は、アダムがゲイだとカムアウトした際に「同性愛者」という言葉を使う。アダムが12歳だった1980年代、青年期の2000年代、そして中年になった2020年代と時代を経て名称は変わってきたものの、その言葉が生む疎外の強さは変わらない。クィアへと言葉は置き換わりつつあり、アダムが言うように「もう表立って差別されることはない」のかもしれないが、そこには疎外による孤独が共にあり、その孤独の性質や強度はずっと変わることがない。強烈な孤独感を持つハリーは、結局、自ら命を経つ。

孤独自体は、誰の隣にもあるものだ。ひとりの人にも、誰かといる人にも、ゲイだろうがヘテロだろうが、孤独はずっとついて回る。アダムの場合、他者と関わらないことにより孤独に気付かないふりをしてきた。『異人たちとの夏』の原田は元同僚や取引先の相手がいて、原作も大林版の映画も元同僚と一緒にいる場面で終わる。原田が経験した一連のもの─死んだ両親との邂逅やケイとの出会い─は、一夏に起きた奇跡であり超現象であり、数年経ったら思い出すことも少なくなり、そしていつか忘れてしまう類の出来事に感じる。アダムは仕事をする描写はあるものの、他者と関わる場面が全くない。食事はするけれど買い物に行くシーンがない。それくらい社会性が無いように過ごしているが、その理由に過去の差別やトラウマがあることが示唆される。両親が事故死したのはアダムが12歳の時で、ちょうどアイデンティティ、セクシャリティに悩み始める時期だったろう。いじめの相談を父親にできず、セクシャリティの相談を母親にできず、いくつもの達成できなかったことによる引け目や負い目をずっと抱えて、胸にしこりがある、と大人になった彼は言う。そして彼は自発的に孤独を選び、社会とのつながりを切った生活を送る。でもつながりを求める気持ちはあるようで、現に、ロンドン中心部がよく見えるアパートに住んでいる。コミュニティの一部に入ることはなく、遠くから街の明かりを眺め続けるのだ。

終盤では、原作と同様に幽霊である両親が消える。やっと父親と母親と和解できた時なのにと、この時点で呼吸が難しくなるほどほど哀しくなっているのに(私が)、やはり、ハリーも消えてしまう。大きく原作から変えてあるラストになることを最後の最後まで祈ったのだけどそんなことはなく……。私は原作を読んだ際に、ふたつの幽霊の話が1つになっていることが気になっていた。良い幽霊である両親と、悪霊であるケイの話は、どうも全く違うもののような感じがしていた。明確に描かれているわけではないが、しかしここでハリーの自殺の理由が孤独であるということだと考えると、アダムを媒体に両親とハリーの幽霊たちが物語に含まれていることに納得がいく。部屋に来た時にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのThe Power of Loveの歌詞のようなことを言うハリーは、世代は違えども、アダムと共鳴する孤独を持っている。

アダムの胸にあったと言う「しこり」は無くなっただろうか。無くならないと思う。そして改めて人間の孤独性を直視させられた私の胸にも重い何かが残った。それでもこの映画の孤独は、耳に馴染んだ大好きなあの曲のように優しく残る。

The Power of LoveのMV見たら、ラストそのまま繋がってんじゃんと気付きまた苦しくなってきた……。この映画は80年代に彼らの曲を聴いてきた人々に向けてるんだろうな。

ガーディアンにあったアンドリュー・ヘイのインタビューを読んでいたら、説明されないアダムの発熱について「母親がエイズのことを話した後に出てくる」とコメントしていたのが興味深かった。当事者であれば、HIVの感染とエイズ発症に関しての不安さは切実なものだろう。こういった描写はある一方の集団にとっては当然であっても、もう一方の集団にとっては見逃してしまう一瞬になる。そう考えると、男性監督による女性主人公の映画で、避妊の場面やその後の妊娠に対する意識が抜けていたりするが、同じ類のものかもしれないと思った。

2024.05.04 Sat

もしかして傲慢になっているだけなのかもしれない。もしかして歳をとって頑固になり、凝り固まっているだけなのかもしれない。ある程度の評判があったり情報が先に出ている作品を見る前に、感想か先に頭に浮かんでしまうようになってきた。『Perfect Days』や『哀れなるものたち』なんかがそうだ。前者は映画を見て怒り狂いそうだし、後者は『私は最悪。』を見た感想と同じものを持ちそうだなと思っていた。今日は『哀れなるものたち』を見てきた。思っていた感想とは別のものを持てたので、やはりちゃんと見るべきだなあと改めて思ったので感想を書く。が、頑なに、『Perfect Days』は劇場では見ないだろうな…。

『哀れなるものたち』は『バービー』よりわかりやすくフェミニズムをテーマにしている。どちらも女性器中心主義であったり、高い知識を持つことによって女性である前に人間としての自己を安定させたりと、類似点は多くある。セックスを通じて自己解放するところなんかは一昔前の映画でよくあった手法なので、白黒の画面作り含めて懐かしさがいっぱいあった。2時間21分と長めの映画ではあるものの飽きずに見られたが、まあこんな感じだよなと思って劇場を出てしまった。なんであんまり響かなかったんだろうと考えると、別にセックスを通じて自己解放もしたくないし、ベラ(エマ・ストーン)が最終的に至る高い知性がある状態にもなりたくない。『バービー』でも思ったけど、こういう映画で描かれる女性は私とはまた違う女性のことだなと、遠くを見ている気分になる。『テルマ&ルイーズ』とかを見ているほうがよっぽど元気が出る。

というところまで3月9日に書いて、終わりどころがわからなく無くなったので放置していた。『哀れなるものたち』はつい先日、アラスター・グレイによる原作を読み終えた。原作はとても面白く、映画で疑問に思ったところが全部ちゃんと描かれていて大満足したし、入れ子構造の複雑な構成とオチの付け方にも舌を巻いた。映画で疑問というか嫌だなという感想に至った点として、ゴッドはかなりしっかりした親としての意識が強くあるのに、ベラに対して性教育が行われているシーンがなかったことが一番大きかった。ベラはああ見えても脳年齢は幼児のはずなので、ペドフェリアのように見えて鑑賞中に気持ち悪くなってしまったのだが、原作でダンカン・ウェダバーンと駆け落ちするまである程度の年齢に育っていたこと、そして後ゴッドがちゃんと性教育をしたと言及があったことが書かれていた。また原作の本当に一部、というか一視点の物語しか映画では描かれておらず、その事を示唆させないことは『哀れなるものたち』に関わる「信用ならざる語り手」のひとりであるというところでは納得がいくものの、映画は映画だけで完結してしまうメディアなので、そこは別の視点というのもメタ的に入れて欲しかったなと思う。特に映画のストーリー元となった視点は、原作の中では一番胡散臭いパートなのだ。悪意のある作りではないし、全体的に原作を尊重している印象はあるものの、あのパートだけ取り出すという行為に対しては自己批判的になって欲しかったという思いがある。

映画を見た人は特に本を読んでほしい。本を読んでいるなら映画はまあ、いいかな、と思うけれど、私は映画を見なければ本は読んでいなかった事を考えると映画も見れてとても良かった。こういう副次的な出会いがあるから「きっとこういう印象を持つだろう」と驕らずに、ちゃんと映画館に出向きたい。

最近のハリウッドによるフェミニズムを全面に出す映画の存在はありがたいことだけれど、それがどうしても女性器ありきの前提で動いていることが非常に気になる。また『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』みたいな派手だけどアンコンベンショナルな物語を見たい。

そういえば先日、『SHOGUN 将軍』を見終えた。2話目ぐらいで「面白いぞ!」と思ったが、その後のロマンスらへんで中弛みして、最後の2話はまた面白く見れた。日系アメリカ人ではなく日本国内で活躍していた俳優がハリウッドに行き、そしてプロデューサーになった、という事実の方に胸が踊る。真田広之のキャリアの描き方は唯一無にだと思う。ハリウッドの習慣に乗るのではなく、自らその道を切り開く姿に惚れ惚れする。『ラスト・サムライ』でトム・クルーズ演じるWhite Saviorに助けられる未文明蛮人サムライ役のふたりはワールドワイドな俳優になったけれど、ハリウッドの規格の中で動く渡辺謙と、パイオニアとして開拓する真田広之は、別の道を歩んでいるように見える。
そして「よく見かけるアジア人俳優」になりつつある浅野忠信。亡くなってしまったけれどインド系俳優といえばイルファン・カーンのようなポジションになってきている印象がある。国外で「よく見かけるアジア系/日系俳優」、且つ、海外映画祭に出品するような日本の作品に強い俳優でもある。ということで先日ベルリン国際映画祭にてプレミア公開された石井岳龍の『箱男』、楽しみである。
ハリウッドでの日系俳優のプレゼンスがまだ全然低い中、『SHOGUN 将軍』という今後の企画検討の際にベンチマークになる作品が出てきてすごく良かったと思う。

そんな感じで相変わらず通勤の合間に本を読んで、帰宅してドラマを見ている日々。

GWは開始と同時に秋田は男鹿半島へ飛行機で行って灯台を見て田舎の旅館に1泊した。新幹線で少し南へ下がり仙台へ帰省。5日間、犬を愛でて過ごした。かわいい。賢いしかわいい。犬はかわいい。灯台もかわいかった。書くぞ書くぞと思っていて書いていないたくさんの灯台の記事がある。いつかちゃんと公開したい。

2024.04.18 Thu

今月は久しぶりに海外出張があった。秋ぶりに欧州へ行き、1年ぶりにイタリアへ。そして再びロスト(ディレイ)バゲージに当たった。同行者がいても、いつも私のスーツケースだけディレイしてしまう。何故なのか。着陸して、機体から降りて、荷物受け取り所で待ち、ゆっくりと徐々に動き出すベルトコンベアを眺めて、「また私のスーツケースだけ来なかったら笑っちゃいますよね」とニコニコして冗談を言っていたが、ぽつり、ぽつりと乗客たちが自分のスーツケースを受け取り、去り、だんだんと不安になってきて、最後は私と他に二人の乗客が残されて所在がなくなる。自分の分身がいなくなったかのような寂しい気持ちになりながら、窓口で手続きをするのも慣れたものだ。前回は昨年、エールフランスでパリに行った時だった。翌日の夕方ごろ届くと聞いていたのに、結局届いたのは真夜中だった。今回はルフトハンザのボローニャ行き。同じく翌日の夕方に届くと聞いたが、実際は翌日の昼には届き、イタリアの郵便局はなんて優秀なんだろう!Grazie, grazie!! と小躍りした。何故かスーツケースに付けていたネームタグが千切られていたけれど、そういうことはよくある。ベルトとかも、いつの間にか無くなっちゃってるし。鍵が破壊されておらず、中身が何も無くなっておらず、変なものが入り込んでいないのであればオールオッケー。その日に必要なものがあったのでスーパーで購入して、後日ルフトハンザに請求した。全額帰ってくるみたい。良かった。

行きのフライトで『ハンガー・ゲーム』を観た。2010年代ドル箱フランチャイズなので私向けじゃないよなと思い観ていなかったことを激しく後悔した。なんて面白いんだろう。第一作目を観て、二作目も観て、三作目の前後半も一気に見てしまった。それでも経過したのは9時間で、フライト時間としては4時間半残っている。日本朝発のフライトは欧州に夕方に着くので、到着した日に眠れるよう機内でなるべく起きているため、『ダム・マネー ウォール街を狙え!』も観た。改めて、欧州行きは長いフライトだなと思った。
主人公カットニスの愛想のなさ、愛嬌のなさ、媚びなさ、人前に出る時の化粧の濃さがとにかく良い。政治色の強いタイプの映画だとは全く思わず、ティーンのSFロマンスでしょと嫌厭していた自分が幼すぎた。プロパガンダの作り方を丁寧に描いており、第一作目公開当時はアラブの春に繋がるのだろうけれど、今見ると思い浮かぶのはウクライナやパレスチナのこと、そしてそれらに関するメディアの出方。ただ現代のプロパガンダの作りのほうが巧妙で、洗練されて、気を付けても気付くことができないほど自然を装ってくるが。一番面白かったのは、ノンポリぶっていたカットニスが最後のショットを決めるところ。どっちつかずのノンポリなんて存在しなく、自分の意思を表明しない限りシンボルとして使われるだけだ。大一番で自分の意思を信じるカットニスの姿が格好良く、自分がティーンの頃に見ていたら弓道部にでも入っていたかもしれない、と思った。とりあえずロンドンの書店で原作を買って帰ってきた。

帰りは『ハンガー・ゲーム0』を観た。ちゃんと世界観が続いていて、演出に統一感もある。なのに全体的に地味なのはどうしてだろうか。私個人としては好きだったが、商業的に大丈夫だったのか?と不安になるくらい、地味だった印象。疲れていたからかな…。本を読んだら見直したいと思う。

あとは『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を観た。アレクサンダー・ペインの良作といった落ち着いたトーンの作品だけど、2023年に作るべき内容なのかなと疑問に思った。1970年代が舞台で、映画の作り自体も70年代のフィルムの質感で、ロングショットやカット編集も音楽の使い方も、ノスタルジックな感じ。かといってアメリカン・ニューシネマ時代のギラギラした感じはなく、叩きつけるような意思もなく、何故ならそこには政治的なメッセージは薄いからで、かなりあっさりした『さらば冬のかもめ』のような出来になっていた。物語は『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』とほとんど一緒の流れではないだろうか。メンター側がホラ吹きで見せかけだけは良い退役軍人ではなく、歴史教師の違いはあるものの。アメリカン・ニューシネマっぽいような、90年代人情アメリカ映画っぽいような(30年前に作られていたら絶対にハナム先生の役はロビン・ウィリアムズだったろう)、とつい他の映画を並べて感想を言ってしまうくらい、ちょっと印象が弱い作品だった。あとほとんど70年代サウンドだったのにボストンの街を彷徨うシークエンスにクルアンビンが流れたりと、なんとなくバランスが整ってない(A Calf Born in Winter、好きな曲だけど)。というか1970年が舞台の物語を求めるなら、1970年の映画を見るんだよな。どうしても2023年に1970年代の映画を作った理由を欲しがる私にとっては、物足りない作品だった。いい話ではあるし、同じ物語でも時代を超えて何度も語り続ける意味はもちろんあるとは思っているのだが…。

という不完全燃焼は、昨日観た『アイアンクロー』で解消された。水曜のサービスデーの日に、プロレスが好きそうなサラリーマンたちが多く揃うシアターで鑑賞。こちらは1980年が舞台の物語だが、2023年で作られるべき映画と言える内容だった。素晴らしかった。RUSHのトム・ソーヤが流れた瞬間、鳥肌〜!その場面を見に行くだけでも良い、ぜひ劇場でご鑑賞を。身体的に強靭であろうが親からの毒が体から抜けない限り囚われ続ける。ものすごい勢いで泣かせにくる演出で、被害者側を描く戦争映画(特にホロコースト関連)で良く使われる手段だったので、このタイプの作品では意外だった。が、これは大泣きさせる必要がある物語だし正しい使い方で、そして私たちは泣くことを耐える必要はない。私も大泣きしたし、隣に座っていた男性も涙を拭っていた。

秋にかけてまたちょくちょく出張があるので体力付けないと、と思いながらも、ここ最近かなり体調が悪い。行く前は、例年より酷い花粉の症状で不調が続いていた。今は花粉は落ち着いてきたが、黄砂だかPM2.5だかわからないがとにかくアレルギーのような症状がずっと続いている。くしゃみと喉のイガイガ、鼻水。しかも元から鼻の粘膜が弱いため、ことあるごとに鼻血を出している。昔からよく鼻血を出していたが、一度出ると傷が治らず、鼻をかんだだけで血が出てくる始末。一度会社で控えめにくしゃみをしたら鼻血が出て、トイレに20分篭り、打ち合わせをスッポかす事態になってしまった(しかも急いでトイレに行ったから連絡するための携帯もなく、止血のための脱脂面も手元になく、安っぽいトイレットペーパーで抑えても抑えても止るわけがなく、泣きそうだった)。アレルギーだけのせいならいいのだが。とにかく鼻血はもう勘弁して欲しい。

2024.03.27 Wed

先週末は新年ぶりに東北へ。家族で岩手は花巻温泉に行って、旅館で一泊してきた。その際に、宮沢賢治記念館へも立ち寄る。前も訪問したことはあったものの、展示内容はあまり覚えてなかったので、初めての気分。宇宙の始まりから展示がスタートして、そこから急に岩手に繋がる。宮沢賢治の物の見方は、基本的に銀河レベルか、もしくは原子レベルなので、正しいスタートである。生み出した作品の数に圧倒されるタイプの作家である。寺山修司の展示や、和田誠の展示でも同じことを思った。同じ時間軸で生きているとは思えないスピードで物を作り、考え、生み出している。本当にすごいことだ。作り出すことより、ここまで多くの数を生み出せるのは、創作の才能があるないの問題ではない気がする。私の5倍以上の速度で物事を理解しているんだろうなといつも感じる。改めて宮沢賢治の展示を見て、この人は国を作ろうと思っていたのかもという印象を持った。「イーハトーブ」は心象限りでの空間だけど、でも賢治の中ではかなり具体的な暮らしを思い描いていたのではないだろうか。そんな気がしてならない。そこでは、どういう生活になるんだろうと考えてみる。裕福ではなく、厳しく、寒く、つらく、労働が続き、その合間に音楽を聴いたり映画を見たり楽器を演奏したり石を集めたり研究したり詩を書いたりしていたんだろうか。そんなことを考えているとカール・マルクスおじさんの顔が頭に浮かぶ。違う思想ではありそうだが、似た部分も多そうである。

なんとなく気分が乗らない。活動的だった先月と比べて今月はかなりおとなしくしている。なんだか疲れちゃって、なんだかもういろんなことがどうでもいいなあ〜!と思いたい、という気分。せめて自己嫌悪の気分からは抜けたい。しかもなんとなく、自己憐憫もありそうなので非常に気分が良くない。自分のことを一番に考えているので、自分のことが一番わかっているし、今の状態の説明も全てできるのだが、でも同じ考えをぐるぐると張り巡らせて時間を潰している。日々は時間潰し。

そう言う時に大谷選手と彼の通訳のニュースを目にして、さらに気分が暗くなった。ちょうど先日、『落下の解剖学』を見てきたばかりなので、外国で外国語を使い裁判に臨むことになった主人公を思い出してしまう。この映画で記憶に残ったのはオノナツメがキャラクターデザインでもしたんですか!?と思ってしまうスワン・アルローの顔と、外国語しか使えない国でのトラブルに巻き込まれる不安さの二つだった。主人公のサンドラはドイツ人だが、フランス人の夫と共にフランス側アルプスの山荘に住んでいる。そこで夫が死亡し、山荘に残っていた妻であるサンドラが犯人として法廷に呼ばれる。フランス語はある程度できるものの、裁判に臨めるレベルではない。彼女はドイツ語話者ではあるが、用意されているのは英語の通訳のみ(そこはドイツ語通訳を用意しろよと思うが)。また法廷期間中、裁判局から派遣されたフランス人監察官がいる前で息子と会話をする場合、英語ではなくフランス語で話せと言われる。ちなみに息子はフランス語話者であるためフランス語で話すが、サンドラは英語で返している。ドイツ語で話すシーンは一度もなく、映画を通して一番苦しいと思った点はそこだった。自分が一番表現できる言語を拒否された時の息苦しさ。映画の出来はそこまでいいとは思えなかったけれど、あの主人公の置かれた言語環境は、かなり印象に残った。言語による孤独は、私が想像する中で一番陰鬱な孤独である。言語による苛立ちは、私が経験した中で一番ままならない苛立ちである。大谷選手のニュースを見ていて、その言語環境の不均衡さを勝手に想像して、辛くなってしまった。まあそれ以外のことも含め、かなりかなり辛いニュースだ。とりあえず「大谷選手って学生の時は岩手弁だったんだべか」と想像をして気を休めている。

まあそんな感じで気分は落ちているが、ちょうど『ユニコーンオーバーロード』をプレイし始めているのでちょうどいいタイミングではある。Twitter経由でフォロワーさんに『十三機兵防衛圏』を教えてもらい、好みのストーリーとキャラクター、ミニエピソードでとてもエンジョイし、バトルパートもかなり良くて今もたまにプレイしている(比治山の「人生ってのはままならんな」という台詞を聞きたいだけでもある)。またアトラス x ヴァニラウェアでのゲームが出ると聞いてすごく楽しみだった。今回は戦略ゲームということで、いつも物理タイプでパーティーを編成して、レベルばっかり上げて一方的に殴りに行くバトルしかしないタイプなので、なんというか、とても難しいと感じている。難易度はとりあえずNORMALにしていて、もうすでにプレイ時間20時間近く経っているが、正直ゲームシステムもキャラクター同士の相性もまだ理解していない。王国復興に向けて地道に頑張ろうと思います。

2024.03.17 Sun

2月は誕生月ということで、いつにも増して活動的になった。3回遠出をして(しかも全て静岡)、4回コンサートに行った。友人に毎回誘ってもらっているフィルフィルことFILM SCORE PHIHARMONIC ORCHESTRAの定期公演(今回はアニメ中心とした劇伴メインで、またまた楽しかった)、QUEEN + ADAM LAMBERT東京ドーム公演、友達に連れて行ってもらったインディーバンドのライブ、そしてなぜか明和電機30周年ライブコンサート。明和電機はトクマルシューゴのVektorのPVで知ったぐらいなのだが、コロナ当初の緊急事態宣言辺り、気が塞がっていた頃、過去のコンサート映像がYouTubeに急に出てきた。それを見たら涙が出るほど笑い楽しい気持ちになったという経験があったので、いつか見に行きたかった。あと同じ品川区へ税金を払っている者としても親近感があった。

規模も、ジャンルも、タイプも違う音楽のコンサートへ行けたけど、どれも楽しかった。東京は山ほどイベントがあるのでお金と時間がある限り楽しく過ごせる。一人で好きなだけお金と時間を自分に使えるから東京に住んでいるわけで、働いている限りは東京に住むんだろうなと、最近思ってきている。でも老後に地方へ、たとえば仙台へUターンするとしても仕事も見つからずコネクションもなく、友達もおらず、という状況になりそうだ。それならどうにかして東京で暮らして東京で死ぬことを考えた方が良い気がしてきた。しかしそうなると金銭的に難しくなる時が来るだろうな。

と、すぐに老後のことばかり考えてしまうが、書きたかったのはそれじゃない!どれも楽しいコンサートだった。特にQUEEN。私が聴き始めた小学生の段階ではフレディはいなくなっていて、不在が当たり前で、過去の偉大なバンドとして曲を聴いていた。特にバンドのイメージ像としてアップデートされる要素はなく、懐古や焼き直しの伝記映画の対象としてしか見ていなかったが、今回のQUEEN + ADAM LAMBERTを見て、バンドの継続性について一つの成功例を見た感じがした。「そこまでやってもらっちゃっていいんですか!?」という名曲の数々をセットリストにふんだんに詰め込み、とにかく演奏9割ぐらいの公演。生でQUEENのオリジナルメンバーであるブライアン・メイやロジャー・テイラーを見れたことは嬉しいが、一番輝いていたのも、一番印象に残ったのもアダム・ランバートという存在だった。偉大な過去のバンドQUEENの名曲をパッケージングしてアダムがフロントマンを演じる、というミュージカルパフォーマンスに近いコンサートの印象だ。メイもテイラーも、そしてランバートも、フレディの不在を埋めようとしているわけではない。QUEENの懐古性を取り外し、現代に合わせて、バンドという形のQUEENの息を吹き返させているようだった。それから何度も何度も聞いた曲ではあれど、アダム・ランバートの圧倒的なうまさでとにかく新鮮に感じる。というか、本当に、うまい。どっから声出てるの?あとすごくチャーミングな人なんだろうなと思った。老年を迎えるメイとテイラーが、青年のランバートを微笑ましくも頼りにしている感じで見ており、その姿を眺めているだけでも感動だった。誰かにとって特別なQUEENの曲を今も変わらずずっと大事にしてくれていて、それだけで嬉しい。I’m in Love with My Carをほぼ同じキーで歌えるロジャー・テイラーの秘めた歌唱力の高さには驚いたし(若い頃もフレディより高いキーを歌っていたのは知っていたが、今も全然歌えるのはすごい)、それから大画面モニターの発色の良さもすごかった。恐ろしいほど高いモニターだろうなと思う。継ぎ目がわからず、カメラワークもしっかりしているので、コンサート中なのに編集済みのライブ映像を見ている感覚になった。それからレーザーやブライアン・メイソロパートのスクリーン演出など、どれもシンプルながらもセンスが高く、もう一度見たい。絶対見たい。定期的に見たい。という気持ちになってしまった。コンサートで大泣きしたのは初めてだ。

と言いつつ昨日、UNDERTALE SYMPHONIC CONCERT 2024のC公演、D公演へ行ってきて、C公演で大泣きしてしまった。そして予定が合わず断念したA公演、B公演も行くべきだったなと後悔。演出、編曲どれも素晴らしく、割と最初から「これは泣くかもしれない」と思っていたが途中でダババーと涙が出てきた。気付けば周りの老若男女、全員泣いていた。オーケストラ+ビッグバンド編成で、すごく入念に構成を考えてあったと思う。オーケストラ上部のスクリーンにはプレイ動画が映し出され、走馬灯のように蘇る当時のプレイ記憶…。音楽の素晴らしさに興奮しつつ、自分の選択の後悔、懺悔、驚き、恐怖が呼び起こされるような作りになっており、情緒がもたない!そしてやってくるみんなのトラウマ!!怖い!!プレイ動画あってよかったけど、バトルシーンなんか特に動画の方を目にしてしまって音楽を聴きたかったので残念だった。でもプレイ動画があることによって味わえる感覚が強化もされているし、難しい。C公演はそんな感じでカタルシスいっぱいの状態で終わって、放心してしまったのだが、D公演はそれはそれで「このあとにこれ持ってくる!?」という内容だった。C公演より少し短かったんだけど、内容は濃くて、あと演奏しているのもかなり大変な感じの編曲だった。いや〜〜〜素晴らしかったな。管楽器アレンジがめちゃくちゃ格好良かった。そんな格好良い状態でのサンズのテーマ、パピルスのテーマ、Dummy!、Ghost Fight、Spider Dance、さいこーで、どれもまた聴きたい。音源化を希望しております、何卒!!

そして本日、自分が通うアコーディオン教室での発表会。身内だけの会なので気楽に参加できるものの、ちょっと気楽に構えすぎてダラっと弾いちゃった感じがする。今年はもっと頑張ろうと決めたので、楽譜を読んで、弾いて、聴いて、人前で弾けるようになりたい!

2024.03.03 Sun

左上から時計回りに、観音埼灯台の第四等フレネルレンズ、観音埼灯台外観、観音崎灯台までの道のりから見える東京湾、横須賀の街並み、三笠公園に入る手前にあった電話ボックス

横須賀へ行ってきた。目的は、横須賀美術館でやっている「日本の巨大ロボット群像の展示」を見るため。昨年12月に友達と観音埼灯台へ行ったときにも美術館へ寄っており、それからまだ3ヶ月、割と早い再訪である。展示ボリュームはそこまで大きくなかったと思う。『鉄人28号』の63年に作られた特撮を起点にし、それ以降に作られた商業ロボットアニメに出てきたロボットのデザインを中心に展示している。最後の展示室に、私が愛する『ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日』資料が何故か多く掲げられており、全部見知った設定画だし、音無し映像を見てもセリフ&BGMの脳内再生ヨユーヨユーという感じだが、でも改めて展示されていると嬉しい。最初の展示室にはもちろん同じ監督である今川泰宏氏が作った『鉄人28号 白昼の残月』のパネルも置いてあり、見方によっては日本ロボットアニメ史は今川に始まり今川で一旦区切りがついているということなのか!?とひとりで盛り上がった。勿論そうではない。途中で『機動武闘伝Gガンダム』の資料があったら確信していたかもしれないが、間にあるのは初代ガンダムシリーズやボトムズといったサンライズ作品、ダイナミックプロ作品、巨神兵…ではなくラムダ、ゴティックメード、辺り。つまり70年〜80年後半ぐらいの作品が主で、来場者の世代もそのくらいの人たちが多かった。合体シーン(トップをねらえ!、ガオガイガー、ライジンオーとか。なぜか展示作品より世代が上)を集めた切り抜き動画があったのだが、部品の結合とかパーツの変形とかではクロースアップが多くなるためかかなりフェティッシュだなと思った。突き詰めると全体像ではなく一部ばかり見てしまうのだろうか。

もう灯台へは登っていたけれど、やっぱり近くに来たら登りたいと思い、観音埼灯台へも再び行った。観音埼灯台のレンズをよく見ると、真ん中のブルズアイの部分が1つではなく、2/3サイズになったものが2つ合わさっていることに初めて気づいた。他にもこのタイプのレンズを採用している灯台はあるんだろうか。なんだか亜種っぽくて面白い。レンズだけの写真というのも、合体シーンでのクロースアップ同様、フェティッシュな感じである。

横須賀の街も歩いた。ハンバーガーでも食べようかしらと考えていたが、結局ブリトーにした。テイクアウトで買って、三笠公園に行って右手には記念艦三笠、左手には米軍基地が見えるベンチで食べた。軍港って初めてちゃんと訪れたかもしれない。米軍基地のドックに停まっている潜水艦も、海上自衛隊から出航した戦艦(「しもきた」か「おおすみ」。どちらかはわからない)も、実際に目にするのは初めてだ。青い空と青い海に挟まれてくすんだ灰色だけで色付けられた船は、明らかに一般用ではない見た目をしており、ただその統一されたカラーは妙に目を惹く。攻撃する機能を持っているものであることから鑑賞しながらも、居心地の悪さを感じてしまう。

一日中外にいて、花粉を大いに浴びてきた。体内に花粉が入るからなのか、夜や朝方に症状が強く出てつらい。実際この文章を書いている間にくしゃみを20回ぐらいしている気がする。だからと言って外出を控えることはしないのだが、花粉がなかったらパーフェクトな休日だったのにな、とつい考えてしまうのであった。

2024.03.01 Fri

先週末やられていた腰の痛みはだいぶ良くなってきて、言い訳に運動をしないことがもうできない。残念だ。運動せねば。

しかし今週はすぐに家に帰りたい週だった。『ハズビン・ホテル』のサントラはいまだにずっとリピートしているが、ふと『Mr. & Mrs. スミス』がAmazon Primeで配信開始されたこと思い出し見たら案の定面白くて、早く帰って続きを見たいという気持ちになり、仕事が終わったらスーパーにも映画館にも寄らずに家に帰る日々だった。今、全八話中の五話目。

いやー、面白い。2005年のアンジェリーナ・ジョリーとブラピが主演していた同名作品のリブートかと思っていたが、実際は、2005年の作品と、1995年にやっていた同名のTVシリーズが元ネタになっているだけだった。シークレットエージェントという職業に就いている夫婦、というところをゆるーく下地にしているぐらいで、あとはオリジナル。全体的にスパイジャンル(というかほとんどが007)の設定や撮り方、もはやクリシェとなった描写でを再現しておちゃらけつつ、内容は至って真面目なロマンスだった。最近またロマンスジャンル見たくなっていたのでちょうどよかった。結婚自体がエージェントとして言い渡されたミッションのひとつで、そしてそれを一般的な他人との共同生活、いわゆる結婚生活というミッションに置き換えている。性格の違うふたりが歩み寄り、妥協し、思い遣る姿を見ていると癒される。割と『きのう何食べた?』と近い癒しを得ている感覚がある。ふたりのくだらない会話を聞いているのも非常に愉快。キャリア志向のジェーン(マヤ・アースキン)とファミリー志向のジョン(ドナルド・グローヴァー)の衝突も人間味があっていい。あと、2/3は見たと思うんだけど、ミッションのターゲットにされるのが白人で、高確率で死んでる(もしくはかなり酷い目に遭うか、歪んだ人格を持っている)のだけど気のせいだろうか。『アトランタ』でも脚本を書いてショーランナーをやっていたフランチェスカ・スローン氏がメインショーランナーであったり、やはり『アトランタ』でも主演と製作をしていたドナルド・グローヴァーも製作に入っていたりと考えると、然もありなん、という感じがする。元々白人ロマコメアクション映画だった同名作品に引っ張られて見る人がいるだろうから、あんまり良い正当な評価を得られなさそうな作品な気がした。高級インテリアやファッションも非常に良いし、スパイ要素を取ってしまえば普通の新婚カップルの話であるものの、全体的に暗い雰囲気も強くて、その辺りはスパイジャンル要素を上手く入れているなと思った。あとサントラがめちゃくちゃ良い。残り三話どうなるのか。白人以外のターゲットも出てくるのだろうか。楽しみだ。

そういえば今年で安部公房生誕100周年らしい。早速発売日に芸術新潮2024年3月号の「わたしたちには安部公房が必要だ」を買ってきた。その中で写真集の発売や、神奈川県立近代文学館での企画展、そして石井岳龍による映画『箱男』の情報など今後のイベント情報が記載されていて楽しみになった。

実家の本棚に、ほぼ全ての安部公房作品の文庫本が置いてあった。文庫本のみならず、化粧箱入りの「箱男」「密会」「砂の女」だの(しかも初版)、題名からして恐怖を感じるセクションがあり、怖いもの見たさの好奇心で読み始めた。中高の私にとって安部公房はSFというより本の存在がホラーで、内容は分からずに、恐怖に追い立てられる感覚だけで読み続けていたと思う。前の年には青い鳥文庫のはやみねかおるによる夢水清志郎シリーズを読んでいたのに、美化されていないエロティシズムや急な暴力、不条理な物語を読むことが思春期の少女にとって背徳行為のようで、抜け出せなくなってしまった。ちなみに毎回徹夜して読んでいたのだが、それは途中で止めて寝たら悪夢を見そうな気がしていたからだ。それでも結局夢に出る。骨が溶けたり、壁に飲まれたり、植物になったり、実際経験したこよりも色濃いはっきりとしたイメージで夢に出ていた。おかげで当時は狸とかいわれ大根が怖かった。もう夢にも見ないし、狸も怖くないし、かいわれ大根も食べられる。ずっと欲しいと思っていた安部公房全集、これから毎月一冊ずつ買っていこうかなあ。全30巻、集めるのに2年半かかる上、そのボリュームの本たちがアパートのワンルームにあったらすごい圧迫感だろうな。まず、どこに置くんだそんな本。いやまあ、全然置けなくはないけれど…。それからこの調子で、勅使河原宏が手がけた作品のDVD-BOXも、前回購入できなかったから再販して欲しい、です!

2024.02.26 Mon

先週木曜の夕方ぐらいから右腰に違和感があった。特に重いものを持ったり捻ったりした記憶はないのだが、曲げると「あれ?」という感覚がある。金曜に起きると、違和感が痛みに変わっていた。上下や移動は問題がなかったので予定通り友人と遊びに出かけたもののかなり気温が低いため腰がどんどん硬くなる。歩く、座る、立つは問題ないのだが、会話で笑ったりすると痛みを感じて顔が一瞬歪む。土曜の朝イチで近所の整形外科に駆け込み、診察。レントゲンを撮って見てもらったが外傷はなく、きっと筋でも痛めたんでしょうと、筋弛緩薬と痛み止めと胃腸薬、そして湿布を処方してもらった。日曜にはだいぶ良くなっていたので大丈夫だろうと、確実に腰痛には悪いであろう楽器・アコーディオンを背負って練習しにスタジオへ行った。大丈夫だった。筋弛緩薬は眠くなりやすいので運転する場合は飲まないでと言われたが、本当にびっくりするくらい眠くなった。半分眠気でボヤボヤしながら練習するアコーディオンは変な感じで、夢でも見ているみたいだった。実際に寝ながら弾いていたのかもしれない。今日起きたらだいぶ良くなっていたので薬は飲まずに湿布だけ。腰がダメになるとアコーディオンが弾けなくなる(というか持てなくなる)ので、大事にしよう。原因はわからないけれど…。

閑話休題。

東京国立近代美術館でやっている『中平卓馬 火─氾濫』を見てきた。以前ドキュメンタリー映画である『カメラになった男ー写真家 中平卓馬』(小原真史、2006)の上映会に誘ってくれた友人と行った。映画では、中平氏の晩年の姿のみ収められているため、初めて見た私は「急性アル中により記憶障害を持ったが故に、日々の記憶を残すために風景や物体を撮っている男性」という印象で留まってしまっていたが、今回の回顧展で急性アル中前の活動をじっくり眺めることができてよかった。なぜ写真美術館での展示ではないのだろうと考えていたが、写真以上に文章が多かったからだろう。展示の半数以上が雑誌の切り抜きで、写真があったとしても過去の展示の再現やモダンプリントばかり。前衛芸術家たちとともに、自身でも撮影とテキストを通じ実践しながら批評を行い、そして海外での展示や撮影も多く行い、前線で活躍していた写真家だったと、初めて認識することができた。展示では文章まで読むことができなかったので、とりあえず『なぜ、植物図鑑か  ─中平卓馬映像論集』を購入してみたものの、多分理解できないだろうな。60年代70年代のアーティストに久々に触れて、以前ほど当時の前衛芸術やアングラ文化、またそれに伴う表象や批評に、今は興味を持っていない自分にも気付いてしまった。当然で、どうしようもない事実ではあるものの、あまりにも男性ばかりのホモソーシャルな空間過ぎて、微妙に冷ややかに見てしまっている自分がいる。今の時代から過去を見ているからこの感覚は当たり前なのだが、今まであまり感じてこなかったということは見事にロマンティシズムにひたってきていたということだろう。過去に正しかった運動は、今も正しいわけではない。それに気付くのにかなり時間がかかってしまったように思う。私、かなり権威主義なところがある。この調子で心の権威主義部分を解体していきたい。そしたらまたちょっとだけ自由になれる。気がする。

閑話休題?

2024年に入って映画館で見た映画が『カラオケ行こ!』しかない。その代わりに見事に『ハズビン・ホテル』シーズン1にハマり、家で何週も見てしまった。あとはサントラをずっと聴いていて、残り10ヶ月で劇的にハマるものがあるか、『グッド・オーメンズ』のシーズン3が奇跡的にリリースされるかしない限り、もう今年のSpotifyのランキング上位は決まったも同然。同じ監督であるヴィヴィアン・メドラーノの過去作である『ヘルヴァ・ボス』ももちろん巡回し、すっかりメドラーノ劇場にどっぷりつかってしまった私は、『ハズビン』シーズン2に向けてアラスターの生前や死因、死後の活動、契約相手、不在だった7年間、欲望を考えるしかないのですよ(注:作品の舞台が地獄や天国なので、主人公チャーリーやその父親ルシファーといったネイティブ民以外のキャラは基本的に生前がある)。そんなことを考えていたらSpotifyでアラスタープレイリストを作っていた。アラスターの死亡が1933年とのことで、1933年までの流行歌を前半に置き、聴きながらアラスターっぽいじゃないかと思ったクイーンの曲を入れて、ただただ入れたかったバグルス入れて、素晴らしいファンソングInsaneの曲で生前と死後を分け、公式曲、そして再度ファンソング、〆方に迷ったので『ディア・ハンター』のテーマソングで終えた。私が好きな曲は1933年以降が多かったので入れられなくて残念(コール・ポーターの名曲をもっと入れたかったが、1934年以降が多い)。パイロット版に「いや〜腹ペコだ、ジャンバラでも食べたい人いるかい!?」という台詞があったのでルイジアナ出身かと予想していたが、案の定ニュー・オーリンズ出身とのことで、きっとジャズも聴いていただろうなあと考えたりしたもののあまりにもジャズ知識がなかったためプレイリストには含められず。1920年代のシリアルキラーを調べたり(大恐慌時代の殺人鬼なんて山ほどいそうだ)、そういえば実際にVideo Killed the Radio Starが起きたのはいつなんだろうと思ってアメリカのラジオ史のコラムを読んだり(すっごい面白かった)、いやもう映画館に行くどころか働いている暇すらない。こういう楽しみ方をしていると、自分はシッパーではないなと思う。なんだろう、ただ単にコンテクストを掘り下げるのが好きなdeep diverなのかも。

まあそんなラジオ・デーモンのことばかり考えつつ一番聴いているのはLoser, Babyだったりする。

以上。