2015.12.19

(多分)大学生活を終えた。
多分、というのは、まだ学位が出ていないし(そもそもいつもらえるんだろう?)、最後の成績も出ていないので、暫定的卒業なわけですが、成績を落としていることはないだろうと予測しての帰国です。

カナダを出る最後の週は本当に慌ただしかった。前日までペーパーの提出があったり期末試験があったりと勉強関連で忙しかったけど、一時帰国ではなく完全帰国となるので、銀行口座を閉めたり(3つも開けてた)、携帯を解約したり、荷物をまとめたり、部屋を掃除したり、友達と会ったりと、そっちも忙しかった。バタバタとした状態で出てきてしまったので、あと2週間ぐらいしたら向こうに戻るような意識でいる。ちゃんと区切りをつけなきゃなあと思うのだが、海外の大学は「大学生」という感じがあまりしないので、「もう学校へ行かなくていい」という認識しかない。以前、友達から、「卒業の申し込みを忘れてたらずっと在籍していることになっていて、書類上では履修を終えた1年後に卒業したことになった」という人の話を聞いた。卒業というのは自動的にやってこないものなのだと、そこで私も知った。自動的にやってこないのだから、自分から「卒業」を演出するしかないのかもしれない。

大学を終えてしまったのは、寂しい。人より随分と長くいたくせになにを言っているんだか、という感じではあるが。特にこの3年間の学業は楽しいものであった。学業が楽しいと思えたのは人生で初めてだった。おかげで楽しいものが増えた。世の中にある、一見自分と繋がっていなさそうな事象も、映画を学んでいく中で実は繋がっているのだと気付いた。今は、自分に関係のないものはないようにさえ感じる。世の中と繋がっていたいと思う気持ちも出て来た。多分それは「積極性」という言葉になるんだと思う。目立ちたいとか、先導を切りたいという類の積極性とかではなく、コミットメントしていたい、という小さな積極性ではあるが、以前の私には欠如していたものだ。
この大学へ行く前は仙台で1年ほどバセドウ病の治療をしていたが、その時は人に関わることも物に関わることも億劫になり、自宅安静を免罪符に引き篭もっていた。寛解してからはまるで反動が来たように動き出した。そして今に至る。また止まってしまうんではないかと思うと怖い気もするけど、当分は大丈夫じゃないかな、と思える。
年が増えたからなのか、経験を得たからなのかはわからない。でも大人になって出来ることが増えた。自分に対しての自信はないが、安心はある。今は何事もちゃんと取り組める。…と、思う。

留学して一番辛かったことは、自分のことを思うように伝えられない、ということだった。語彙が足りない以上に、慣用句の足りなさが一番の原因ではないのかと思う。慣用句、イディオムは、言葉の意味だけではなく、習慣の一部である。ここ2年でそれは随分良くなって、今年に入ってからはかなり楽になった。それでもまだまだ足りない。満足する時は来ないのかもしれない。

他にもいろいろ思うところがあるし、気持ちの区切りをつけたいからどんどん反省していきたい。
大学は終えてしまったが、学びの姿勢は身についたと感じる。中高の時に身につけておけば大学での勉強も楽だっただろう。中高は碌に勉強していなかったから今更なにを言っても仕方ない。これからも色んなことを勉強していきたい。

というわけで無職です!